鈍色のひかり

 スナイパーという職業はほめられたものではない。
 依頼人から、対象者を聞き、調査をし、排除する。成功すれば金をもらい、失敗すれば命がない。それでもこの業界に長く居続けたのは、これしかできることがないからだし、これ以外の生き方を知らないからだ。
 今日も私は安いアパートで、タバコをふかす。
 大しておいしくもない虚無を吐き出して、生きる実感を得ようともがいている。仕事用の手帳を取り出して、机に置く。
 手帳に挟んでおいた対象者の写真を眺める。帽子を目深にかぶり、硬そうなひげを蓄えている。線は細く、体のラインに沿ったスーツがくたびれている。次元大介、といった。この業界では知らない人はいない、凄腕のガンマンである。
「これで私も店じまいかなあ」
 ぷかあと煙を一つ。私は部屋の隅に置いてあるケースを持ってくる。愛用のライフル。昨日も磨いたような気がするけれど、仕事の前にもうひと拭き。商売道具はきれいに越したことはない。

 次元大介という男は、ルパン三世という世界的に名の売れた大泥棒の相棒という立場だった。ヘリコプターだろうが戦車だろうが潜水艦だろうが、その銃の腕一つで貫通してきた、現実離れにもほどがあるガンマン。依頼主からの情報提供で、今は東京にいると聞く。情報屋を使って居場所を調べたら、思ったよりも近い場所にいた。もしかしたら勘づかれているのでは、と冷や汗をかいた。どちらにせよ、次元大介に勝てるわけがないのだから、勘づかれていようが何だろうがどうでもいいのだけれど。
 情報屋によると、次元大介はある墓に向かったという。彼が使っている駐車場を知っているから、そこを狙えばいいだろう、ということだった。開けている場所だから狙いやすいだろう? なんて言ってきたけど、開けている場所だから、向こうからも狙われやすくなるのだ。とはいえ、どんなに狭い場所であれ、彼の方が腕は圧倒的に上なのだから、もう、消化試合に近い。今日が私の命日だってことは、依頼された時からわかっていた。

 依頼は、本当は断る予定だった。死にたくないから。でも、伝説のガンマンに会いたくなった。ようは、ファンミーティングみたいなものだ。チェキ会とか、握手会とか、そういうのに行く感覚に近い。いつも以上にライフルを磨き上げる。次元大介に、こんな奴が俺を狙ってるのか、俺も落ちたな、なんて思われたくない。あなたを狙っている依頼主は、確かにとんでもない大物だったし、あなたを狙っているスナイパーは数々の大物政治家の命や裏社会の抗争を仕留めてきて、紛争地帯では傭兵として実戦経験を積んでいるやつですよ、と知らせたい。あなたはしっかり大物ですよと伝えるためにも、少し、気合を入れたくなった。

 いつも、動きやすい軽い服を着ている。今日は、その動きやすい服を新しくする。おろしたての服のにおいを久々に嗅ぐ。嫌いではない。好きでもないけど。帽子をかぶる。ぱんぱんとズボンについたほこりを払い落す。スマホを開き、メールを確認する。昨日の仕事分の給料がちゃんと入っていることを確認する。どんなに稼いでも今日で私の命は終わるので、どうだっていいけれど、数字が増えるのはちょっと嬉しい。
「お邪魔しました〜」
 リビングに転がっている体に挨拶をする。私が退去した後、清掃屋が来てくれる手はずになっている。だから私は、挨拶だけして立ち去ればよいのである。


 ちゃんと夏日でウケてしまう。駐車場から1キロ離れたビルの屋上。このくらい離れていれば、気づかれないで済む、はず。わからんけど。彼が乗っていたビートルは、ルパンの愛車らしい。薄い黄色い車は、大の男が乗るには小さすぎるのではないかと思う。それに、仮にも犯罪者だというのに、だいぶ派手な車に乗っているなとも思う。ケースを開き、ライフルを組み立てる。かちりかちりと銃の形になっていく。汚れはない。メンテナンスもばっちり。弾も十分。あとは、位置を決めるだけ。スコープの中を覗き込む。駐車場は4台ほど止まっていて、開いている個所は2台ほどであった。いつも止めている場所は開いている。情報屋が言っていた通り、確かにどこかに出かけているらしい。それにしても、墓に出かけるとは、誰か知り合いの墓参りにでも行ったのだろうか。律儀な男。
 
 風が出てきたように思った。2°修正。車が入る位置。ドアの位置。たぶん、最適解はここだ。スコープを覗き続ける。そこに降り立つガンマンの姿を想像する。黄色い車から降り立つ細長い彼はどんな雰囲気なんだろう。シケモクをよく吸っていると聞いたけれど、吸いながら降りてくるのだろうか。想像上の次元大介が軽快に動き出す。夢想が過ぎると集中力が切れる。

 遠いはずのビートルの音がした。ぶろろと唸り声をあげている。ファンミーティング直前の高揚感があった。どきどきとわくわくが入り乱れて、まるで太鼓の達人だ。スコープから目を離さない。ふうと息を一つ。大丈夫。大丈夫、大丈夫。
 スコープの円の中に、ビートルの扉が収まった。やはりここが最適解だったのだ。つばを飲み込む。耳が冷たい。指先もすこしかじかむ。唇をかむ。プチッと音を立てて血が滲む。汗が伝う。
 扉が開く。蜘蛛のような細く長い脚が地面に降りる。すっくと立ちあがる彼は、確かにシケモクを吸っていた。
 彼は、弾丸だった。
 目深にかぶった帽子、硬そうなひげ、くたびれたスーツ、薄い唇。なめるようにスコープから除く。筋の通った鼻に、固く結んだ口から流れる白い煙。彼の節くれだった指さえ、私をとらえて離さない。ずっと見ていたい。この美しい弾丸を私は仕留めたい。
 私はまだスコープの中をのぞく。まるで暖かなコートをまとうように、殺気が自然とそこにあった。穏やかな月夜に沈む静寂のように、気配のなさと迫力が同居していた。
「ああ、嬉しい!」
 声を上げずにはいられない! 初めての感覚! 初めての高揚感! 会えたのだ、私は。こんなすごい人に、本当に特別なこの円の中に捕らえられたのだ。腹の底から沸き立つ愉悦は、推しに会えたファンのそれだった。スコープというスポットライトは、彼と私をつなぐ、最短の直線距離だった。私は、この人を仕留められる。
「ありがとうございまーーーす!」
 力を入れる。引き金を引く。弾丸は、彼の心臓を確かにとらえている。きらりと彼の首から落ちる赤い光が心臓の位置に舞う。私は捉える。一瞬たりとも見逃さない。光る、赤。雲から太陽がのぞく。私の弾丸は正しく、彼の心臓を打ち抜く。鉱石のような赤が彼の体の周りに散らばる。
「えっ」
 散らばる赤は、液体ではない。彼の首からぶら下がっていた謎の大きな赤い鉱石。あれはルビーか? バラバラと弾け飛ぶ煌めきが、血ではない証明としてそこにあった。彼の心臓はまだ動いている。
 次の弾をこめる。彼は私に気づいている。私を見ている。
 ばちりと、頭の中に火花が飛び散る。
 彼が、私を、見た。
 にやりと、笑った。私を、見て。
 マグナムが、ばつんと鳴る。鈍色のそれが光を帯びて、
 目の前に。
 ばりん、とガラスが割れる。円はいびつな破片に変わる。
 じとりと、目が熱い。痛い。熱い。痛い。目が。胸が。頭が。
 じんわりと目のなかと顔を伝う生暖かい赤を手で押さえれば、もれなく私の手も同じ色に染まった。スコープは使い物にならない。それでも私はそこに視線を向ける。じりっと集中すれば、何キロ先であれ対象者を見つけることはたやすい。つまり、今の私は思ったよりも極限状態だったのだ。なぜならば、彼の声がはっきりと聞こえたから。
 次元大介は、シケモクの煙を私に向けた。
「あったりぃ」
 どくどくどくどく、鼓動が耳の奥で鳴り響く。
 あったりぃ。
 そう、あったりぃ、だ。
 絶対に仕留めてやる。絶対に次は彼の心臓にあてる。言ってやる。あったりぃ。ライフルを空に向ける。ばあん、と打ちあがる。花火、祝砲、鉄砲玉。
 次の射的の景品は、きっとあなたの心臓だ。



企画/再会 title by Nautilus 24.03.25