百年みたい

拝啓 ルパン三世様

 あなたの横顔は、煙突のように尖っていて、私の心ばかりを煙たくしました。吸う銘柄を真似しても、飲むボトルを真似しても、あなたに近づくことはできなくて、遠く遠く離れていくような気がしてしまっていました。
 これだけ人が多ければ、あなた1人くらい見つかるのではと思って、最寄りの改札でぼうっとしています。あなたに似た人は1人もいないと気づいて、あなたは世界に1人だけだと気づいてしまったのです。
 あなたを待つ時間ばかりが過ぎていきます。たった数分の、もしかしたらたった数秒のこと。


 あなたはきっと覚えていないでしょう。私はあなたの名前も顔も匂いも姿も全てを鮮明に覚えているというのに。交番に行けば指名手配のポスターが貼られているし、派手な予告状を出せばトレンドを総なめしていました。大胆不敵なその佇まいに、世界はいつだって目を離さなかったのです。私はその1人に過ぎないけれど、それでも、あなたに覚えていて欲しい気持ちと、忘れていて欲しい気持ちの行ったり来たりを繰り返していました。
 あなたの周りは事件だらけだから、日常の一部と化してしまっていたのでしょう。それでも私にとっては一大事でした。急にあなたが目の前に現れて、大きなピンクダイヤモンドをあしらったアクセサリーで、あなたはそれを持ってきてくれました。ママが渡してくれってさ、なんて軽く言って、それは確かに母の形見だったのです。母はずっと前に亡くなっていて、私の中でも済んだ出来事だったはずなのに、そのネックレスを見たら、母の幻影が浮かんでくるようでした。優しい子守唄が、穏やかな背中が、暖かな空気が纏わりついて、離れなくなったような気がしました。まだ母が恋しいのだと、否が応でも認識させられたように思いました。事実、私は母の死に向き合うことはできていなかったから、良い機会だったと思います。
 ネックレスを首につけるまでに、一瞬の間がありました。あなたはその間を目ざとく見つけて、大泥棒のあなたにとっては無価値なそれを、本当に大事そうに私の首につけてくれました。確かに心に花火が上がって、弾けて消えて、また弾けました。そして消えてなくなって、硝煙だけが残りました。精一杯のありがとうを伝えたかった。でも、母の幻影が優しすぎて、涙ばかりが流れてしまいました。あなたが撫でてくれたのか、母が撫でてくれたのか、はっきりしないまま、私はそこに立ち尽くしてしまいました。大の大人が、情けない。
 母のピンクダイヤモンドが、なぜあなたの手に渡ったのかを私は聞きませんでした。これきりの出会になるとわかっていたから、あなたとの一瞬を取っておきたかったのです。後ろ暗い事情に阻害されたくなくて、私は泣くことにしました。あなたは黙ってくれていました。あなたは、私をわかってくれました。心の底から、あなたが理解してくれたという事実が、わかりました。それっきり、あなたはいなくなりました。
 会えたのは一度だけ。でも、赤いジャケットを翻して、黒い人と肩を並べていたのを私は写真に収めています。2度と会えないことを予感して、住む世界が違うことを感じ取って、でもせめてと思って一枚、シャッターを押しました。
 ことあるたびに、その写真を見返していました。元気な時も、仕事に失敗した時も、寝る前、テレビを見てる時でさえ。白湯を飲みながら、スマホでその写真を映しました。夜の帳が下り、深く深く闇が沈んでいきます。ブルーライトばかりが爛々と周囲を照らしています。不健康に目ばかりを疲れさせて、それでも見させてきました。じっと、私はその写真を見てしまうのです。


 さて、随分とピンクダイヤモンドが似合う年になりました。自分も成長したということなのだと思います。あなたからもらった時、このネックレスはあまりにも不釣り合いで、浮いていました。結局あの写真は、機種交換の時に削除しました。私が、この指で、消しました。こうすれば、あなたとの一瞬は100年だって閉じ込められると、あの時は思ったから。あなたの影を追うような、みっともない姿を見せたくありませんでした。幻の母の愛を求めているようで、許せませんでした。今思えば、幼い考えです。でも、後悔していない。100年の中に閉じ込めたと思えば、それはそれで、良い、と思えたからです。手の張りはもうありません。背も随分縮んでしまいました。母の寿命をとうにこして、私は健康に過ごしてしまいました。あなたの名前は相変わらず聞きます。これも幻影なのでしょうか。あなたにこの手紙が届かないことを祈ります。

名前のない女より



***



「愛されてるねぇ」
 古くからの相棒は言った。手元のネックレスを弄ぶ。しゃらしゃらと金属の波が、指をうねる。照明にかざすと、愛らしい色が目の中に入り込む。なんの変哲もない便箋にびっしりと埋め尽くされた独白に、微笑まざるを得ない。
 君が閉じ込めたはずの100年は、俺にとっては一瞬の出来事なのだ。逆説的にそれは、君がいなければその一瞬は生まれなかったことになる。その一瞬がどれほどの煌めきを持っているか、知らないだろう。
 君の顔を俺は覚えている。君が覚えているように、名前も、顔も、匂いも、姿も余すことなく覚えている。薄茶色の瞳は君のママにとってもよく似ていた。穏やかな虹彩はハッとするほど真っ直ぐで、俺はニシシと笑わざるをえなかった。ママから預かったネックレスを君に返せたのは本当に、数えるほどしかない良きエピソードだというのに、君は事情も聞かないし、ただただ泣くだけだった。柔らかな髪の感触を覚えているというのに、君は薄情にも忘れてるなんて言って。心外だ。
 女は可愛い。女は美しい。女は愛しい。女は恐ろしい。女に彩られたから、俺は女を一番愛する。どの女も俺にとっては、忘れえぬ存在であることを女たちは知らない。それが、ちょうど良い。気持ちいい。だから、よい。
 便箋からは満月の匂いがした。しんと凍った、君の眼差しを閉じ込めたような彩りがあった。
「すべての愛は、俺の手中にあるからな」
 ウィンクを一つ。相棒が「ケッ」と吐き捨てた。



企画/崇拝 title by alkalism 2023.2